水子供養とは
水子供養の前に
まず、水子供養のお話の前に「あなたは水子供養に対してどのようなイメージを持たれていますか?」。この質問に対してどう感じたでしょう。「生まれてくるはずだった赤ちゃんへ懺悔すること」「いけないことをしてしまったという気分になり、最終的にいたたまれなくなって供養してもらうこと」といったように、「水子供養=ネガティブ」と捉えられはいませんか。これまで清善寺へとお見えになった方や、電話でご相談してくる方の多くがこのようなことを口にしています。しかし、実際はそこまでネガティブに考え込む必要はありません。少しでもポジティブに考えていただくことが生まれてくるはずだったお子さまのためにもなりますし、あなた自身のためにもなるんですよ。 では、水子供養とは何なのかを分かりやすくご説明していきましょう。
供じて養う気持ちが大切
水子供養の「水子」とは、母体に宿った小さな“いのち”が、この世の光を目にすることなく絶えてしまった“お子さまの霊”のことを指します。そして「供養」とは“供して養う”という言葉があるように、水子さまの幸せを願うあなた自身の気持ちや祈りを仏さまに捧げ、そして未来の幸せを育て蓄えていくことです。
生まれてくるはずだった“いのち”が絶えてしまうことは大変残念であり、また哀しいことでもあります。その水子さまのために、親御さまはその現実を悲しむばかりではなく、その悲しみを乗り越えて、水子さまの分まで未来の幸せに向かって歩んでいかなくてはいけません。ただ、お子さまを亡くされた哀しみがあまりにも大きいため、ほとんどの親御さまは泣き、悲しみ、懺悔しようとします。これで本当に水子さまが成仏できると思いますか?本当に水子さまを想うのであれば、自らが明るく元気に生活し、そこに生まれるゆとりある慈しみの心で供養することが大切となります。そして、未来へ向かって歩もうとすれば自然と夫婦の間にできた溝もなくなると思いますよ。
また、1回供養して終わりではなく、定期的にお参りして「この前○○があったよ」「おかあさんも○○歳になったよ」「あなたに弟、妹ができたよ」など、日々のできごとを報告してあげてください。冒頭にも述べたように、供養とは仏さまへ気持ちを捧げ、未来の幸せを育て蓄えることです。毎日、毎月は難しいかもしれませんが、せめてお盆やお彼岸(春・秋)にお参りしましょう。
このように、水子供養とは、ただただ悲しみに明け暮れて懺悔するのではなく、生まれてくるはずだったお子さまの分まで幸せになろうと、親御さまが前向きな気持ちになることが何よりも大切なのです。そうすることが本当に水子さまのためになり、あなた自身のためにもなるのだと思います。
その他、ご質問などございましたら、供養当日などいつでも構いませんので、ご相談ください。
水子供養料は10,000円
ご家族の気持ち、優しさがしっかりと伝わる温かい供養です。